吃音セラピーの『理念
 吃音セラピーは、「元」吃音者の私が、私自身の経験から、吃音どもりは『治る』というメッセージを発信しています。
 吃音セラピーは、読むだけで、吃音が治るサイトを目指しています。

吃音セラピーの『結論
 【吃音】【結果】吃音への【恐怖】【嫌悪感】などの【マイナスの感情】【原因】
 吃音は、心の問題と理解し吃音を心から受け入れ吃音を克服しようと思わなく成れれば、吃音は必ず治ります。

吃音の治し方はトップページの一番最初に書いてあります。
どうぞご覧ください。とてもシンプルです。

TOPページへ

私の吃音(どもり)の記憶について

残念ながら、私は、自分がいつからどもり始めたのか、記憶があいまいです。

また、吃音に関する悲劇的な思い出というものも、それほど多くはありません。

比較的、吃音を隠すのが上手だったからです。

 

それほど悲劇的なものではありませんので、あまり面白くはないかも知れませんが、

私という人物を知りたい人にはいいかもしれません。

興味のある方だけどうぞ。

 

就学前は、「あんたは口から生まれてきたなあ」

と、祖母がいつも言っていたくらいですから、

いつもしゃべっている、おしゃべり好きな男の子でした。

 

話すことに恐怖は微塵も感じておらず、

どもっていた記憶はありません。

 

小学校の頃も、吃音で恥をかいた記憶は、ほとんどありません。

 

2年生の頃には、クラスの全員を前に、

最近あった楽しい出来事を、毎日1人ずつ交代で話すという企画で、

時間を延長しながら大爆笑させた記憶があるくらいですから、

人前で、話すのは、むしろ得意でした。

 

ただ、基本的には早口で、慌てて話すような話し方だったと思います。

(すでに噛みまくっていたかも知れませんね^^)

 

中学の頃の記憶ですが、こちらも、吃音で恥をかいた記憶がありません。

ただ、いじめや、スパルタ塾通い、部活動での挫折、高校入試など、

人生で一番つまらなかった時期で、そういう、吃音よりも暗い記憶の方が大きく、

吃音の嫌な思い出というのが、隅に追いやられているような感じです。

 

あと、何度も書いていますが、

おそらく、持ち前の話し上手で、何とかごまかせていたため、

それほど嫌な記憶が残っていないのだと思います。

 

ただ、顔から火が出るような、吃音のつらい思い出というのは、

思い出せないのですが、中学の頃には、間違いなくどもっていました。

 

というのは、この頃、私は、一度だけ母親に、吃音の悩みを打ち明けたことがあります。

これに対し、母親は、鼻で笑ってました。

「あんたが吃音?そんなわけないやろう。」

関西圏の母親とは、こんなものです。

 

これは、母親が冷たいとか、そういうわけではなく、

私の吃音が、両親の前ではその程度だったということと、

そもそも思春期の男の子は、あまり親と話をしませんよね。

 

また、私は3人兄弟の末っ子で、しかも年子だったため、

両親も、少子化の今ほど、子供一人一人に、気をかけていない時代でした。

私が生まれた昭和40年代とは、そんな時代でした。

 

高校になって、私はいわゆる高校デビューを果たします。

「生徒諸君!」という名作の漫画に触発されて、

入学と同時に、めい一杯自分をアピールした結果、

それが功を奏して、私は高校1年生の2学期に、

人生初の学級委員長を経験することになります。

その後は生徒会長、応援団長にもなりました。

 

とにかく話が面白く、行動力があると思われていた私が、

授業の始めと終わりの「起立・礼・着席」をどうしても言えないことを、

隣の席のクラスメートに打ち明けた時は、

不思議そうな、どうにも理解不能な顔をしていました。

 

学級委員長はひとつの学期が終了するまでです。

2学期が終わるまでどうやって乗り切ったのか、記憶がありません。

おそらく、あまり上手には乗り切れなかったのでしょう。

その後、私が学級委員長に選ばれることは二度とありませんでしたから。

 

こう考えてみると、つらい記憶は忘れるという、

脳の防衛本能は、大したものだと思います。

私に吃音の記憶が少ないのは、案外、これが一番大きいかもしれませんね^^

 

ちなみに、千人の全校生徒を前に、生徒会長の挨拶ができるのに、

「起立・礼・着席」が言えないのが、吃音の本質をよく表しているところです。

 

生徒会長の挨拶は、自分でどうにでも話せますし、言い換えも可能ですが、

「起立・礼・着席」は、言い換えができませんからね。

とにかく「起立・礼・着席」には、困りました。

 

その後、私は東京の大学に進みました。

田舎出身のため、標準語の中での生活には、多少苦労しましたが、

ここでも、大きなどもりの失敗の記憶はそれほど残っていません。

 

吃音を持っている割には、同じ大学に通う私の兄の紹介で、

塾の講師や、家庭教師を4年間やりました。

自分で言うのもなんですが、大したものだと思います。

 

ちなみに、塾の講師や家庭教師という仕事は、言い換えや、アドリブが効く仕事なので、

案外、できるものです。

 

では、

顔から火が出るような失敗は無かったのかというと、大学時代はあります。

ラーメン屋でのバイトです。

 

出前の電話対応や、お客様の注文伺い、バイクでの出前という仕事でしたが、

スピーディーさや、即座に言葉の対応を求められると、やはりものすごくどもりました。

 

一度、店主の前で猛烈にどもった時は、私の顔を唖然とした表情で見ていました。

さすがにミジメで、そのまま辞めたくなりましたが、意外と真面目なんですね、

大学卒業まで続けました。

 

とにかく、ここではよくどもりました。

自分のペースを保てないからです。

言葉の言い換えなんて、考えていられない忙しさと言えば、分かりやすいですね。

吃音者には向いていない職場だったと断言できます。

 

ともあれ、どもりながらも、よく頑張ったと我ながら思います。

今、気が付きましたが、私は、結構、自己採点が高めですね^^

これって、大事かもしれませんよ^^(あなたもお試しください)

 

さて、

基本的に、苦手なものから逃げなかった私が言うのもなんですが、

 

私は、自信を喪失し過ぎるような職場や環境を、

あえて選択する必要はないと思っています。

避けてもOKです!

逃げてもOKです!

 

結局、

吃音はトラウマですから、

ミジメすぎる失敗を量産するのは、

吃音の克服にとってはマイナスでしかありません。

 

吃音を克服するための方法は、

・吃音を恐くないと思えるようになること。

・もっと言えば吃音を何とも思わなくなること。

・そして、実際に、どもらずにしゃべれた成功体験を積み重ねることです。

結局、吃音は心の問題ですから、『自信』に勝る良薬はありません。

 

とりあえず、私の幼少期から学生時代までを、簡単に振り返ってみましたが、

私の場合、誰もが認める吃音者という存在ではありませんでした。

 

本人は、ものすごく劣等感を持っていましたが、

どもりそうな時は、ことばを置き換えたり、

 

どうしても置き換える適当なことばが見つからない時は、

話さないで済むように心がけたり、

 

人前で激しく失敗する事態だけは極力避けてきましたので、

私のことを話し上手だと思っていた人も大勢いました。

 

もしかしたら、

ラーメン屋の店主だけは、私を病気だと思っていたかも知れませんが、

常にどもりつつも、恐ろしくどもってしまったのは、数える程度でしたから、

案外、周囲は、そんなことは忘れてしまっているかも知れません。

 

結婚披露宴の友人代表のスピーチも、何度も引き受けましたし、

名古屋のツインタワーでの司会も頼まれました。

 

さすがに、ツインタワーでの司会だけは、

お互いサラリーマンで打ち合わせの時間がまったく取れないのと、

こんな高そうなホテルでの披露宴を失敗してはいけませんし、

第一、そこは素人が司会者デビューするような場所ではありません。

余興を引き受けることで勘弁してもらいました。(珍しく失態しましたが^^)

 

あらためて、私の吃音人生をまとめるとこんな感じです。

 

・いつの頃からかは不明ですが、子供の頃からずっと吃音で悩んできた。

・ただ、幸い、もともと話し好き(上手?)だったのと、
言葉の置き換えや、どもりそうな時は話さない、などの工夫のおかげで、
人前での失敗体験は、それほど多くはなかった。

・吃音に悩んできた割には、それなりに前向きに、色々なことにチャレンジして生きてきた。

 

ここまで読んで、吃音者の告白によくある、

悲壮感に満ち満ちた体験ではないことに、

 

自分とは違うとか、

そんなに程度の軽い人には私のことは分からない、

などと思わないでください。

 

そもそも、吃音の正体は、

吃音を恐れる自分自身の心、

吃音を受け入れなれない自分自身の心、

つまり、吃音へのマイナスの感情。

共通点はありますが、一人一人個別のものです。

 

吃音者でいつづけるのは、自分自身の心の反映です。

 

それは同時に、

吃音を軽くすることも、

さらに重くすることも、

自分自身の心で、どうにでもなるということを意味しています。

 

どんな吃音であろうと、

吃音を治せるのは自分自身しかいませんし、

あきらめない限り、吃音は必ず治せます。

 

吃音とはそういうものなのです。

常に希望を持ちましょう。

必ず吃音は治ります。

 

もしもあなたの吃音が治ったら、

あなたも吃音で悩む人の力になってあげてください。

 

最近、

私は、こうしてブログを書くために、

吃音の人生を選んで生まれてきたような気がしています。

 

今日も、プラス思考なだけの私の記事を、最後までお読みくださりありがとうございます。

吃音を克復するということは、吃音へのマイナスの感情をいかにして無くしていくか。

吃音は治ると信じつつ、吃音を治すことに固執しない。開き直る。良いものは取り入れる。

このへんの理屈が腑に落ちれば、必ず治ります。これはもう間違いないです。

プラス思考で、今日も頑張らずに、頑張りましょう^^

何か、不明な点がございましたら、メールなりコメントなりでご連絡ください。
(ブログでは書けないこともありますから、メール、大歓迎ですよ^^)

→お問い合わせはコチラ