残念ながら、私は、自分がいつからどもり始めたのか、記憶があいまいです。
また、吃音に関する悲劇的な思い出というものも、それほど多くはありません。
比較的、吃音を隠すのが上手だったからです。
それほど悲劇的なものではありませんので、あまり面白くはないかも知れませんが、
私という人物を知りたい人にはいいかもしれません。
興味のある方だけどうぞ。
就学前は、「あんたは口から生まれてきたなあ」
と、祖母がいつも言っていたくらいですから、
いつもしゃべっている、おしゃべり好きな男の子でした。
話すことに恐怖は微塵も感じておらず、
どもっていた記憶はありません。
小学校の頃も、吃音で恥をかいた記憶は、ほとんどありません。
2年生の頃には、クラスの全員を前に、
最近あった楽しい出来事を、毎日1人ずつ交代で話すという企画で、
時間を延長しながら大爆笑させた記憶があるくらいですから、
人前で、話すのは、むしろ得意でした。
ただ、基本的には早口で、慌てて話すような話し方だったと思います。
(すでに噛みまくっていたかも知れませんね^^)
中学の頃の記憶ですが、こちらも、吃音で恥をかいた記憶がありません。
ただ、いじめや、スパルタ塾通い、部活動での挫折、高校入試など、
人生で一番つまらなかった時期で、そういう、吃音よりも暗い記憶の方が大きく、
吃音の嫌な思い出というのが、隅に追いやられているような感じです。
あと、何度も書いていますが、
おそらく、持ち前の話し上手で、何とかごまかせていたため、
それほど嫌な記憶が残っていないのだと思います。
ただ、顔から火が出るような、吃音のつらい思い出というのは、
思い出せないのですが、中学の頃には、間違いなくどもっていました。
というのは、この頃、私は、一度だけ母親に、吃音の悩みを打ち明けたことがあります。
これに対し、母親は、鼻で笑ってました。
「あんたが吃音?そんなわけないやろう。」
関西圏の母親とは、こんなものです。
これは、母親が冷たいとか、そういうわけではなく、
私の吃音が、両親の前ではその程度だったということと、
そもそも思春期の男の子は、あまり親と話をしませんよね。
また、私は3人兄弟の末っ子で、しかも年子だったため、
両親も、少子化の今ほど、子供一人一人に、気をかけていない時代でした。
私が生まれた昭和40年代とは、そんな時代でした。
高校になって、私はいわゆる高校デビューを果たします。
「生徒諸君!」という名作の漫画に触発されて、
入学と同時に、めい一杯自分をアピールした結果、
それが功を奏して、私は高校1年生の2学期に、
人生初の学級委員長を経験することになります。
その後は生徒会長、応援団長にもなりました。
とにかく話が面白く、行動力があると思われていた私が、
授業の始めと終わりの「起立・礼・着席」をどうしても言えないことを、
隣の席のクラスメートに打ち明けた時は、
不思議そうな、どうにも理解不能な顔をしていました。
学級委員長はひとつの学期が終了するまでです。
2学期が終わるまでどうやって乗り切ったのか、記憶がありません。
おそらく、あまり上手には乗り切れなかったのでしょう。
その後、私が学級委員長に選ばれることは二度とありませんでしたから。
こう考えてみると、つらい記憶は忘れるという、
脳の防衛本能は、大したものだと思います。
私に吃音の記憶が少ないのは、案外、これが一番大きいかもしれませんね^^
ちなみに、千人の全校生徒を前に、生徒会長の挨拶ができるのに、
「起立・礼・着席」が言えないのが、吃音の本質をよく表しているところです。
生徒会長の挨拶は、自分でどうにでも話せますし、言い換えも可能ですが、
「起立・礼・着席」は、言い換えができませんからね。
とにかく「起立・礼・着席」には、困りました。
その後、私は東京の大学に進みました。
田舎出身のため、標準語の中での生活には、多少苦労しましたが、
ここでも、大きなどもりの失敗の記憶はそれほど残っていません。
吃音を持っている割には、同じ大学に通う私の兄の紹介で、
塾の講師や、家庭教師を4年間やりました。
自分で言うのもなんですが、大したものだと思います。
ちなみに、塾の講師や家庭教師という仕事は、言い換えや、アドリブが効く仕事なので、
案外、できるものです。
では、
顔から火が出るような失敗は無かったのかというと、大学時代はあります。
ラーメン屋でのバイトです。
出前の電話対応や、お客様の注文伺い、バイクでの出前という仕事でしたが、
スピーディーさや、即座に言葉の対応を求められると、やはりものすごくどもりました。
一度、店主の前で猛烈にどもった時は、私の顔を唖然とした表情で見ていました。
さすがにミジメで、そのまま辞めたくなりましたが、意外と真面目なんですね、
大学卒業まで続けました。
とにかく、ここではよくどもりました。
自分のペースを保てないからです。
言葉の言い換えなんて、考えていられない忙しさと言えば、分かりやすいですね。
吃音者には向いていない職場だったと断言できます。
ともあれ、どもりながらも、よく頑張ったと我ながら思います。
今、気が付きましたが、私は、結構、自己採点が高めですね^^
これって、大事かもしれませんよ^^(あなたもお試しください)
さて、
基本的に、苦手なものから逃げなかった私が言うのもなんですが、
私は、自信を喪失し過ぎるような職場や環境を、
あえて選択する必要はないと思っています。
避けてもOKです!
逃げてもOKです!
結局、
吃音はトラウマですから、
ミジメすぎる失敗を量産するのは、
吃音の克服にとってはマイナスでしかありません。
吃音を克服するための方法は、
・吃音を恐くないと思えるようになること。
・もっと言えば吃音を何とも思わなくなること。
・そして、実際に、どもらずにしゃべれた成功体験を積み重ねることです。
結局、吃音は心の問題ですから、『自信』に勝る良薬はありません。
とりあえず、私の幼少期から学生時代までを、簡単に振り返ってみましたが、
私の場合、誰もが認める吃音者という存在ではありませんでした。
本人は、ものすごく劣等感を持っていましたが、
どもりそうな時は、ことばを置き換えたり、
どうしても置き換える適当なことばが見つからない時は、
話さないで済むように心がけたり、
人前で激しく失敗する事態だけは極力避けてきましたので、
私のことを話し上手だと思っていた人も大勢いました。
もしかしたら、
ラーメン屋の店主だけは、私を病気だと思っていたかも知れませんが、
常にどもりつつも、恐ろしくどもってしまったのは、数える程度でしたから、
案外、周囲は、そんなことは忘れてしまっているかも知れません。
結婚披露宴の友人代表のスピーチも、何度も引き受けましたし、
名古屋のツインタワーでの司会も頼まれました。
さすがに、ツインタワーでの司会だけは、
お互いサラリーマンで打ち合わせの時間がまったく取れないのと、
こんな高そうなホテルでの披露宴を失敗してはいけませんし、
第一、そこは素人が司会者デビューするような場所ではありません。
余興を引き受けることで勘弁してもらいました。(珍しく失態しましたが^^)
あらためて、私の吃音人生をまとめるとこんな感じです。
・いつの頃からかは不明ですが、子供の頃からずっと吃音で悩んできた。
・ただ、幸い、もともと話し好き(上手?)だったのと、
・言葉の置き換えや、どもりそうな時は話さない、などの工夫のおかげで、
・人前での失敗体験は、それほど多くはなかった。
・吃音に悩んできた割には、それなりに前向きに、色々なことにチャレンジして生きてきた。
ここまで読んで、吃音者の告白によくある、
悲壮感に満ち満ちた体験ではないことに、
自分とは違うとか、
そんなに程度の軽い人には私のことは分からない、
などと思わないでください。
そもそも、吃音の正体は、
吃音を恐れる自分自身の心、
吃音を受け入れなれない自分自身の心、
つまり、吃音へのマイナスの感情。
共通点はありますが、一人一人個別のものです。
吃音者でいつづけるのは、自分自身の心の反映です。
それは同時に、
吃音を軽くすることも、
さらに重くすることも、
自分自身の心で、どうにでもなるということを意味しています。
どんな吃音であろうと、
吃音を治せるのは自分自身しかいませんし、
あきらめない限り、吃音は必ず治せます。
吃音とはそういうものなのです。
常に希望を持ちましょう。
必ず吃音は治ります。
もしもあなたの吃音が治ったら、
あなたも吃音で悩む人の力になってあげてください。
最近、
私は、こうしてブログを書くために、
吃音の人生を選んで生まれてきたような気がしています。