最近、時間を見つけては、会員限定掲示板の整理をしていました。
この作業の中で、以前にも紹介したRさんからのメールが目に留まりました。
こういう考え方が出来ていると、そりゃあ吃音も治ってくるよね。
こう思いましたので紹介したいと思います。
この方は、最近あまりどもらなくなったそうです。
たったの1か月の変化です。
吃音の克服は、こういうマインドの先にあるのだと思います。
吃音者は自分の事が好きか?
好きなところもあるし、嫌いなところもある。吃音者じゃなくても人間誰でもそうですよね。
正直そりゃあ吃音者は基本的にどもる自分って嫌いに決まってますよね?
できれば自分の記憶から消して人生をやりなおしたいと思う事もあるかもしれません。
それって言い換えると『劣等感』に近い感情だと思うんです。
「年下のあいつがスラスラしゃべれるのに俺はうまくしゃべれないなんてみっともない」
「あんなにあいつはバカなのに、あいつのようにしゃべれない俺ってもっとバカ??」
「スラスラとしゃべれる人が神様のように見えてしまう」
そんな時はたいてい自分に自信が持てないから、
いつもよりどもってしまう事が多いような気がします。
でも僕は声をMAXにして言いたい。
「『劣等感』なんてクソ食らえだー!」ですw
吃音者は感受性が強いとよく言われますが、悲しいかな、感じなくてもいいものも感じてしまうのが吃音者のサガ。
常人が感じる事が不可能なものを感じる事ができる、ある意味吃音者は『能力者』と言えるんじゃないかと本気で思ったりしますw
それはさておき、
吃音者は劣等感を持つ場面が多い分、自分を卑下してしまう事が多いと思うんです。
それなら、
そんな劣等感なんて捨ててしまえばいい。
そもそも劣等感を持つ人は自分の事にしか興味がないから、
他人から自分がどう見られているのかという事にしか興味がないんです。
他人より優れていれば満足し、劣っていれば落ち込む。
他人と比べた自分にしか興味がないから、常に他人の顔色をうかがって生きていく事になります。
つまり喜怒哀楽という感情の主導権は他人に握られているんです。
自分より劣っている人を見ては心地よくなり、自分より優れている人を見れば憂鬱な気分になる。
ならば自分より劣っている人だけを見て気持ちよくなろう・・・・って、
自分と他人を比較する事で劣等感が生まれるのなら比較しない方がマシです。
比較してはいけないんだけど、僕らはもっと他人に関心を持つ必要があると思うんです。
他人に限らず、自分以外の色々なものに気づいていく事が大切だと思うんです。
僕も昔は自分の事にしか興味がなくて、彼女が髪を切っても気づかない事が多かったんです。
なんで気づかないの?と聞かれるんですが、気にしてないから気づかないw
これを言ったらきっと殺されると思ったのでココロの中でつぶやくまでにとどめましたが、結局自分が気にしていないことは気づいていないし、存在すらしていない。
存在していないものは認識することができないので、それだけ狭い世界で生きていくことになります。
そう、僕は自分の事にしか興味がありませんでした。
でもいろいろな事に関心を持つようになると自然と興味がわいてきました。
昨日と違う子供のしぐさ。
昨日と違う同僚の表情。
昨日なかった部屋の飾り。
昨日と違う気候の変化。
関心から興味に変わった時、感情の主導権は既に自分が握ってるんです。
そこに他人と比較する理由などありません。
そんな感情の主導権を握っている時は、不思議な事にどもる事が少なかったような気がします。
『他人に関心を持つこと』は僕が長い間ずっと避けてきた事ですが、
これを抜きに吃音の克服はありえないというのが僕が出した結論です。
吃音者は他人と関わる事自体が恐怖です。
他人と関わろうとする時にぶち当たる大きな壁があります。
それは他人から離れていれば吃音に苦しむ事がないけど、他人と関わろうとすると吃音に苦しむ吃音者が背負っている宿命のようなジレンマです。
それでも吃音を治そうと思うのならもっと他人と関わっていくべきなんです。
そもそもなぜ僕たちは吃音に苦しんでるのか?
言いたい事が言えない
恥ずかしい
みっともない
思うように行動できない
うん、確かにそうなのかもしれません。
でも、もっと奥底にある心理は人と関わりたいという切なる強い願いがあるからじゃないでしょうか?
もし本当に人と関わりたくなければ、言いたい事が言えなくても悩む必要なんてないわけですから。
僕らは人と会話する時にどもってしまうから、人と話をする事を避けてしまう。
でも、本当はもっと人と関わりたいし、もっと人を知りたいし、もっと人を好きになりたいと心の奥でもう一人の自分が叫んでいるんだと思うんです。
実は吃音のせいで人と関わりたくないと錯覚してるだけなんじゃないかとさえ思ってしまいます。
他人と関わり、人生まるごと興味を持つことができれば見える世界は無限に広がっていきます。
どもるのに人と関わろうとする行為は、ある意味「吃音」に対しての挑戦状です。
ブルース・ウィリスや小倉智昭も、吃音なのにあえて言葉が必要な職業を選んで成功したのは、表現は違えどもストイックなまでに吃音に挑戦状を叩き付けてきた結果です。
彼らも昔はそうじゃなかったに違いありませんよ!w
でも、どこかでこのままじゃいけないという思いが爆発して、関心のベクトルが自分以外の所へ向かったきっかけがあったんだと思います。
他人と関わらずに一生吃音と共に生きるか?
他人と関わることで吃音と向き合い克服していくか?
僕らに必要なのは挑戦状を叩き付ける勇気ですよね!
一体、どちらがフリーマインドさんだか分からないくらいの内容です^^
初めまして(^-^)/
たまたま今年冬に下の娘のインフルエンザの看病で私も自宅に缶詰め状況の時に、吃音セラピーを見つけ、何度もおじゃまするようになって2ヶ月になります。
「他人と関わって吃音と向き合って克服するか、僕らに必要なのは吃音に挑戦状を叩きつける勇気」
Rさんのコメントにビビビ‼︎と来て、コメントせずにいられなくなりました。
もっとずっと前から吃音セラピーを見つけてからフリーマインドさんにメールやコメントをしたかったんですが、あまりにもお話したいことが多過ぎてまとまらなくて、躊躇してました。
私はRさんの言う、まさにそのちょっとした勇気を出したばかりに…いやそれ以上の高過ぎても超えられるか分からない壁に今挑戦せざるを得ない状況です(泣)
新年度になり上の娘の通う小学校で、クラス内のPTA常置委員会役員に吃音克服にも、と思い、ちょっと勇気を出した所立候補して、さらにくじ引きで全学年の委員長になってしまいました(泣)
立候補を悔やんでた矢先に吃音セラピーにおじゃまさせて貰い、Rさんのコメントを読めて、私もむちゃくちゃな勇気出したけど、自分ってスゴいんじゃないの?って、自分を少しは褒められたかな?
吃音セラピーでRさんのこちらのコメント表示なかったですか、今私の心境でこちらのコメント読めて、よし、挑んでやろーじゃあないの!吃音抜きに、人に逃げることなく潤滑に委員内を進めるには?と言う事に集中しよう。吃音者だろうが、やらなきゃならない状況なんだから…と思えたんです。
もう、吃音センセイの状況です。
フリーマインドさんの吃音セラピー見つけ、吃音センセイ読んでいいおばさんがボロ泣きし、人に対して逃げずに話そうとして、話し方教室にも勇気出して通いだし、今や私の吃音克服の集大成です(泣笑)
フリーマインドさんのとても分かりやすいシンプルな言葉に、私の吃音に対する心が変われました。
フリーマインドさん、ありがとうごさいます。
長々となり申し訳ありません。
またコメントさせて下さい。
ではでは^ ^
こんばんは☆彡
自分のこの時のコメント、久々に見ました。
あ〜委員長になってしまった時は、立ちはだかる高い高い壁のように思えてツラかった…けど良くやったなぁ〜
あれから2年経とうとしてますが…悩んでた頃がもう本当に遠い過去のようです。かと言ってなんでも意欲的に毎日を過ごしても居ないです笑
本当に自然体に仕事もしてます。
この時の私、良くやったなぁ〜とこのコメント読んで久々に想い、また励みになりました。
でも
コメント途中になってしまいました笑汗
フリーマインドさん、
また新しい記事待ってます( ´ ▽ ` )ノ
前のコメント、途中でしたf^_^;)
フリーマインドさん、
新しい記事待ってます
( ´ ▽ ` )ノ