吃音セラピーの『理念
 吃音セラピーは、「元」吃音者の私が、私自身の経験から、吃音どもりは『治る』というメッセージを発信しています。
 吃音セラピーは、読むだけで、吃音が治るサイトを目指しています。

吃音セラピーの『結論
 【吃音】【結果】吃音への【恐怖】【嫌悪感】などの【マイナスの感情】【原因】
 吃音は、心の問題と理解し吃音を心から受け入れ吃音を克服しようと思わなく成れれば、吃音は必ず治ります。

吃音の治し方はトップページの一番最初に書いてあります。
どうぞご覧ください。とてもシンプルです。

TOPページへ

私の吃音克服体験

信じられないような本当の話です。

2012年の6月7日から、私はピタリとどもらなくなりました。

吃音を治すのに、何か特別なトレーニングなどはしていません。

 

本当に信じられないような話ですが、

30年以上も苦しんできた吃音が、

ある日を境に、突然治るなんてことが、現実には起こりうるのです。

 

私は吃音について、

いつかは治るはず。

という希望を持ってはいたものの、

正直、吃音とは一生の付き合いになると

なかばあきらめていました。

 

何か奇跡でも起きない限り、吃音が治ることはないだろう。

これが、それまでの私の偽らざる気持ちでした。

 

 

私がどもらなくなる一番のキッカケをくれたのは、

吃音センセイ」という1冊の本との出会いでした。

 

これから読まれる人のために、

あえて本の中身に深く入って行くことは避けますが、

この本は、幼い頃に吃音になってしまった女の子が、

小学校の担任として活躍する姿と、

吃音に悩み続けてきた自身の半生を織り交ぜたもので、

事実をもとに、第三者が書いた小説です。

 

本当に普通の小説ですので、

吃音は治るとか、治らないとか、

そういう余計な言及はありません。

 

実際、主人公の吃音は、最後まで治ることはありません。

でも、だからこそ最後まで文学作品として楽しめます。

 

私はこの小説を読んで久々に心の底から感動して泣きました。

とにかく、吃音センセイの実直な生き様が素晴らしいのです。

どもっていても、決して格好悪くないのです。

むしろ、どもっているからこそ、余計に温かい心が伝わってくるという感じです。

 

どもらずに、スマートに生きようとするより、

どもっても、一生懸命に生きるほうが素晴らしい。

 

読み終えた後、素直にそう思えました。

 

何だか、心の中のスイッチが切り替わったような感じです。

 

心が軽くなりました。

もう、吃音で悩むのがバカらしい。

吃音で生きることに恥ずかしさが無くなりました。

 

吃音への恐怖心や羞恥心、マイナスの感情を消すためには、

最低限度の正しい知識が必要ですが、

難しい理屈や、最新の吃音研究を、

私は正しい知識だとは思っていません。

 

吃音なんてどうでもよくなるような、

心が軽くなるような知識を、

私は正しい知識だと思っています。

 

そういう意味で、吃音センセイには、正しい知識が詰まっています。

 

吃音なんてもうどうでもいい。

この、吃音の克服に一番大切なマインドをインプットしてくれます。

人によっては、この本だけで吃音が治る可能性があると私は思っているくらいです

 

さて、私はこの本が届いたその日に、一気に読み終えました。

2012年6月1日のことです。

そして、私が、どもらなくなったのは6月7日ですから、

その日まで6日間あります。

では、この6日間に何があったのかをお伝えしたいと思います。

 

本が届いたその日に、一気に読み終えた私は、

翌日の6月2日に、妻にこの本をすすめました。

 

夫が長年、吃音に悩んできたこともありますが、

内容が面白かったようで、彼女もその日のうちに読み終え、

翌日の6月3日には、再び私の元に本が返ってきました。

 

妻の感想は、私には意外なものでした。

私の心をわしづかみにして、

涙を流さずにはいられなかった名作が、

彼女にとっては普通の小説だったようです。

 

主人公がどもりながら話すせりふの一つ一つに、

私が感情移入していたのに対して、

妻は特に何とも思わなかったようです。

結果、妻は、この小説で泣くことはありませんでした。

 

2012年6月7日。

この日も、私は通勤電車の中で再び読み返すべく、

吃音センセイをカバンの中にしのばせていました。

 

私は職場で、隣の席の女性と今読んでいる本について、

よく読書談義をするのですが、

 

幸い、手元に現物があることだし、

今日は吃音センセイをすすめてみようかな

という気になりました。

 

ただ、いざ話を切り出そうという段になって、

ふと不安がよぎりました。

 

何でこんな変わったタイトル本を持っているのか、

きっと聞かれるに違いありません。

 

吃音センセイなんて本、

普通の人は、まず手に取るはずがありません。

 

この本をすすめるとなると、

既に私の吃音はバレているとは言え、

これまで打ち明けたことのない、

私自身の吃音について話す必要が出てきそうです。

 

逆に、何も言われないとすれば、

私の吃音を気づかって、あえて触れてこないということでしょうから、

それはそれで傷つきそうです。

 

吃音センセイを読んで、

吃音とともに生きることに、恥ずかしさが無くなったと感じていた私ですが、

さすがに毎日顔を合わせる職場のお隣さんにカミングアウトするとなると、

その後、どもる度にバツの悪い思いをしそうで、いったん気持ちを引っ込めました。

 

でも、ここで本を貸せないようなら、

私の吃音への恐怖が無くなったという感覚は、ウソということになってしまいます。

 

ひとしきり悩んだ末、

 

自分の心を確かめるためにも、

私は腹を決めて、

彼女に本を紹介することにしました。

 

意外にも、彼女のご主人が幼少の頃より軽い吃音を持っているそうで、

吃音センセイにとても興味を持ってくれ、

そのまま吃音談義に花が咲きました。

 

そして、

私は彼女の口から、

さらに意外なことを聞くことになります。

 

彼女は、もう何年も私の席の近くで仕事を共にしてきたにもかかわらず、

 

「私の吃音にまったく気が付かなかった。」

「私がドモっているのを聞いたことがない。」

 

と、言うではありませんか!

最初は、冗談だと思いましたが、

彼女の表情を見ていると、冗談ではないことが分かりました。

 

でも、私は毎日確実にどもっていたのです。

つまり、これはどういうことかというと、

 

私のように、中年になって、比較的軽度になってきた吃音は、

ほとんど誰も気にしていないか、

吃音者だと気付いてさえいないということです。

 

人間誰しも緊張すれば声が上ずったりしますし、

急いでしゃべると、噛んでしまうものです。

 

要は、程度の軽い吃音は、

それらと同程度にしか思われていないということです。

 

これには驚きました。

 

私だけが、ずいぶん長い間

「今、どもった。。」とか、

「今、言いたいことを言わずに話を終わらせた」とか、

 

周囲に恥ずかしい気がして、勝手にため息をついていた。

つまり、

単なるとりこし苦労だったという訳です。

 

吃音談義は大変有意義でした。

なんせ、40年間の私の半生で、初めての経験です。

常に隠してきた吃音について、オープンにすることはとても爽快でした。

何よりこの爽快感は、吃音を告白する覚悟を決めたからこそ得られたものです。

 

この時、気付くと

私はまったくどもらずにしゃべっていました。

さらに、

これからの人生、自分はもう、どもることはないだろうという「確信」が芽生えていました。

 

この日、私は吃音は治るというブログを立ち上げて、

私のライフワークにしようと決意しました。

ブログなど、それまで一度も作ったことがないのに、です。

 

それくらい、この日、私の心の中に起きた変化は、

誰かに伝えずにはいられない衝撃的なものでした。

 

今、私の腕時計は、2012年の12月2日午前2時を過ぎました。

あの時の「確信」から約半年が経ちます。

今も、私の吃音は治ったままです。

 

吃音は心の問題で、体の疾患ではない、

という私の持論が正しければ、

誰もが私と同じ可能性を持っているということになります。

 

吃音は必ず治ります。

 

私はこの事実を、今、吃音が最も重篤な時期にある人に知って欲しい。

できれば生きる希望となって欲しいと、願っています。

 

 

吃音センセイを貸して4日後に、職場のお隣さんから感想を聞けました。

私の妻と同様、いい話だったけど、泣きはしなかったそうです。

確かに、ストーリーは頭に残ってはいても、登場人物には全く寄り添えてはいないようでした。

 

どうやらこの本を読んで泣けるのは、吃音者だけのようです。

そりゃそうですよね。

吃音のつらさは、吃音者にしか分かるはずがありません。

 

吃音が原因不明の病気とされる理由も実はここにあります。

 

吃音者が、

いくら吃音者の心の中を想像しても、分かるものではありません。

 

元吃音者にしか、吃音セラピー(治療)は不可能だと確信しました。

 

吃音者の悩みに寄り添える心、

吃音者を思いやれる繊細さ、

 

これらが、吃音で苦しんできたがゆえに身に付けることができた

私の能力なのだとすれば、

 

吃音を持って、ここまで生きてこれて本当によかった。

吃音に心から感謝しました。

 

 

吃音が治ってしまうと、

吃音への思いがどんどん変化していきます。

もっとも意外な変化は、

 

それまで、自分に架せられた重い十字架や鎖のようにしか思えなかった吃音が、

こうして感謝の対象となっていくことです。

 

ここには、もはや吃音への恐怖や羞恥心、嫌悪感は微塵もありません。

 

吃音の正体は、吃音を恐れる心、

そして、吃音を羞恥、嫌悪する心などのマイナスの感情です。

つまり自分自身の心です。

闘う相手ではなく、受け入れるべきものです。

 

吃音の正体が、自分自身の心と知れば、怖さは無くなるのではないでしょうか。

 

後は、どもらない経験が自信となり、

また、

吃音への思いが熟成される中で、吃音は、必ず良い方向に向かって行きます。

 

人によって個人差はあると思いますが、

私はたった1日で、吃音の苦しみから開放されました。

 

どうぞ、あなたも希望を持って下さい。

 

吃音センセイの記事へ

 

今日も、プラス思考なだけの私の記事を、最後までお読みくださりありがとうございます。

吃音を克復するということは、吃音へのマイナスの感情をいかにして無くしていくか。

吃音は治ると信じつつ、吃音を治すことに固執しない。開き直る。良いものは取り入れる。

このへんの理屈が腑に落ちれば、必ず治ります。これはもう間違いないです。

プラス思考で、今日も頑張らずに、頑張りましょう^^

何か、不明な点がございましたら、メールなりコメントなりでご連絡ください。
(ブログでは書けないこともありますから、メール、大歓迎ですよ^^)

→お問い合わせはコチラ

4件のコメント

  • こんにちは。

    吃音に重要でも

    見落としがちなポイントが
    書かれているという感じがしました。

    初心者の僕にも フムフムってなるような
    わかりやすい内容で とても勉強になります。

    また遊びに来ます。

    応援ぽちっ!

    • フリーマインド

      さゆりさん

      コメントありがとうございます。

      吃音は、難しく考えてはいけません。
      吃音は、自分の心が作り出す現象だからです。
      難しくとらえればとらえるほど、こじれていきます。

      私が誰にでも分かりやすい文章を書くように心がけているのは、
      吃音を難しいものにしないための私なりの配慮です。

  • ユウジ

    初めまして。
    自分は30年近く吃音に悩み続けている男です。
    貴方のブログを拝見して共感出来る部分がとても多くメールさせていただきます。

    自分はネット依存のところがありまして。。吃音で悩んでいる同じような人の声、克服法など色々と調べてばかりいました。しかしあなたのブログを読んで情報を取り過ぎる事が一番の障害だと改めて認識しました。
    またあなたのポジティブなお考えは大変参考になりました。
    特に「私の吃音克服体験」は衝撃的でした。
    とても説得力があり良く分析されていると感心しました。
    しかし自分に置き換えて実践しようとするとメンタル的に色々な問題があるのかなと思っています。

    自分の性格を具体的に言いますと。。
    気が小さく臆病。
    視野が狭い。
    気持ちの浮き沈みが激しい。
    いつも不安な気持ちで悪いことばかり先走って考えてしまう。
    仕事をしていてもまだ起こっていない失敗した時の自分を先にイメージしてドキドキした気持ちになる。職場や周りの視線がとても気になる。
    いつも何かお腹に力が入らない感じ。
    気持ちが落ち着かない
    些細な事を気にし過ぎる。
    自分で自分を追い込んで行く。。などです。

    昔は誰の前でもお喋りするのが大好きな子供でした。
    吃音が目立って来たの中学、高校ぐらいからでしょうか。。
    原因は厳格な父親からのしつけによるものだと思います。
    吃音に関しては今まで自分なりに色々と分析してやって来ましたが中々改善されません。
    難しいかと思いますが良きアドバイスがあればお願いいたします。

    • フリーマインド

      ユウジさん

      キツオン先生はもう読まれましたか?

      もしもまだならそこから始めて下さい。

コメントを残す