先日、先日、吃音は治らない。諦めなさい。今を大切に生きなさい。この考え方について。
という短い記事を書きました。
その記事の結論がこちら。
吃音を治そうとしない。
今の自分の人生を大切にして生きる。
これは、吃音の克服にものすごく大切な心構えだと、私は思っています。
この記事は、もともとは、今ときどきメールのやり取りをしているBさんのために書きました。
その後も、とてもよいやり取りが出来ましたのであなたと共有したいと思います。
難発の吃音の根本的な本質的な治し方。意識改革の内容についてお話します。簡単です。
を補足する内容にもなっていると思います。
具体的には、
心のしなやかさ、柔軟性についてです。
これまでも、心のしなやかさや柔軟性については何度か触れてきましたが、
やはりこれこそが吃音克服の最大のカギだと思います。
なぜなら、人はそういうものを得るために生まれてくるのだと思うからです。
フリーマインドさん
伊藤伸二さんのどもるのはカッコいいと言うのは正直、自分はあまり腑に落ちません。
吃音でなくても、どもったりすることは確かにあるとは思いますが、私は吃音が辛くて好きな仕事も退職したので。
吃音があることは言葉を話すことにストレスを感じてる訳ですから、それがなければいいのに…
とどうしても思ってしまいます。
この考え方はやはり改め直す必要があるのでしょうか?
Bさん
私は、伊藤さんの「吃音は治らない」という結論だけはいただけないのですが、
「どもりながらも、懸命に生きる姿はカッコいい」
という考え方は、その通りだと思っています。
吃音がなければいいのに…。
この考え方を改めるべきかどうかですが、
これは、考えるなといっても考えてしまうでしょうから、
改める必要はありません。
一番大切なのは、
『吃音克服への強靭な意志を持ってはいけないということです。』
強靭な意志や、気合いは、吃音を悪化させます。
そもそも、吃音は、そのかたくなな心の表れだと思いませんか?
強靭な心で吃音に挑むと、強靭な力で跳ね返されます(=どもります)。
気合いを入れて吃音に挑むと、気合いを入れて跳ね返されます(=どもります)。
だから柔らかくアプローチするのです。
むしろ、挑まないのです。
そうすると、吃音からも挑まれなくなるのです(=治るということです)。
Bさん、今、腑に落ちましたか?
柔らかな心。
どもっている自分自身の日常にすら感謝の気持ちを持てるような心を育んで欲しいと思い、
伊藤さんの記事を引用しました。
吃音があっても無くても、
今日を、今を、一生懸命に生きて、
吃音はともかく、
日常に感謝と満足が出来るように生きることが大切なのだと私は考えます。
今日もどもったけど、吃音以外は100点だった。
俺は良くやった!
フリーマインドさんに自慢しよう^^
こういう日常が続くのが一番の理想であり、
一生再発しない吃音の克服法なのです。
フリーマインド
あなたもお気づきかも知れませんが、最近の吃音セラピーの更新頻度は比較的ゆっくりです。
理由は、100記事を目前にする所まで来ただけあって、大切なことはほぼ書けたと思えているからです。
これからも、ゆったりとした更新になっていくと思われます。
もしも分かりにくい箇所がありましたら、ご質問ください。
ただ、あまりにもメールで終わらせてはもったいないと思えるほどの素晴らしいやり取りに発展したときは、
ブログに匿名でシェアさせていただくことだけはご了承下さい^^