吃音は、人前で、言葉が出てこない症状のことです。
→吃音とは http://kitsuontherapy.com/archives/2303
そして、吃音は、よく3つの型に分類されることがあります。
この Wikipedia の記事は、吃音が進んでいく段階だそうですが、
私とは微妙に考え方が異なっています。比較する意味で引用しました。 ×は私が付けました。
吃音の段階 [編集]
一般的に吃音には、次の五つの段階がある。
- 第1段階 – 難発。吃音発生時
- 第2段階 – 連発。本人にあまり吃音の自覚のない時期。
- 第3段階 – 連発。伸発。本人が吃音を気にし始める時期。次第に語頭の音を引き伸ばすようになる。
- 第4段階 – 難発。吃音を強く自覚するようになる時期。伸発の時間が長くなり、最初の語頭が出にくい難発になる。時に随伴運動が現われる。
- 第5段階 – 吃音のことが頭から離れず、どもりそうな言葉や場面をでき
るだけ避けたり、話すこと自体や人付き合いを避けたりする。なお、『連発 → 伸発 → 難発』へと順番に移行していくものではなく、『難発 → 連発 → 連発+伸発 → 連発+伸発+難発』と新たな要素が加わりながら移行して行くものとされる。 ×
この分類そのものや、吃音の進み方自体を論じることは、あまり意味を持ちませんが、
分類し、分析することで、
結局、『吃音の原因は、心にある』ということが、
より鮮明になりますので、
そのために、説明しておきたいと思います。
1.連発(れんぱつ):「おおおおおはようございます。」
2.伸発(しんぱつ):「おーはようございます。」
3.難発(なんぱつ):「おっ・・・・おはっ・・・・。」(ことばが出てこない)
『連発』
この話し方をする人の中には、まだ吃音になる前の人も、おおぜい含まれると思います。
(吃音の自覚がない場合は、もちろん、非吃音者です。)
非吃音者のこういう話し方は、
吃音への恐怖がありませんので、単なる話し方の『クセ』と言えます。
これに対して、吃音者がこういう連発の話し方をした時は、
決して上手に話せたわけではないんだけど、
なんとか言いたい事を言えた。という『結果』になります。
まとめると、
連発には、非吃音者と、吃音者がいます。
そして、連発は、『クセ』と『結果』であり、吃音の類型とは言えません。
『伸発』
これも、吃音の類型というものではなく、
『吃音者の努力の結果』
『吃音者であることを隠すためのテクニック』
と言えると思います。
難発で、言葉が詰まって出てこないから、ゆったりと伸ばして言ってみた。
そうすると、意外と言葉がスムーズに出てきたので、その方法を続けている。
こういうことです。
ただ、伸発は、あくまでも一過性のものです。
なぜなら、このテクニックは、いずれ通用しなくなり、また難発になってしまうからです。
連発には、非吃音者と吃音者が混在していましたが、
伸発には、吃音者しかいないというのが特徴です。
なぜなら、伸発は、難発を回避するためのテクニック。
つまり、吃音(難発)を恐れる心、そのものが、そういう行動を起こさせるからです。
そして、これもテクニックである以上、吃音の類型とは言えません。
『難発』
これこそが、これだけが、本当の吃音です。
吃音の類型とは、これだけしかありません。
言葉が出てこないから、
うまく言えたとしても、結果的に連発になったりするし、
うまく言おうとして、伸発のテクニックを使ったりもするのです。
最初に難発がある。
だから、連発や伸発が付随して現れてくる。
喉が、胸が、上半身が、(意外と下半身はそうでもない)固まっている状態。
声は出ず、体は硬直、頭の中は真っ白。
もちろん、これは人前でだけの話です。
そもそも、人のいない場所で、ここまで緊張するはずがありません。
緊張とは、人の前でしかしないものです。
(ただし、1人の時でも、人や、どもってしまう場面を連想してしまうと、緊張しますし、どもることはあります。)
もう分かりましたね。
3つの分類を論じると、
難発だけが吃音。
『そこに人がいるから』からどもる。
つまり、
吃音は、心の問題であるということが、より鮮明になったと思います。
最後に、Wikipediaと私の違いをここに書いておきます。
×『難発 → 連発 → 連発+伸発 → 連発+伸発+難発』と新たな要素が加わりながら移行して行くものとされる。
私は、こう考えます。
難発を自覚し、恐れ(マイナスの感情)を抱いた人だけが、
その時から吃音者になるのであって、
徐々に移行していくものではない。
連発や伸発は、単なる「結果」や「テクニック」である。