信仰はとてもデリケートな問題ですので、
私の経験を中心にお話しをして、
あまり深く掘り下げることは、避けておきます。
私は、宗教について、ほんの少しだけ書く資格があると思っています。
というのは、
私の実家には仏壇がありました。
そして、
私は幼い頃から、仏壇に手を合わすように両親からしつけられて来ました。
その甲斐あってか、お経が読めます^^
江戸時代からの寺請制度の影響で、
日本には、仏壇のある家は、そう珍しくありませんが、
お経を読めるとなると、案外少ないと思います。
そういう意味では、私は、珍しい日本人ということになると思います。
両親が言うには、叶わない願いごとは無いそうです。
そういうわけで、
私は、幼い頃から、よくお願いごとをしてきました。
もちろん、吃音の克服は、最優先のお願いごとでした。
結果は、
吃音を含め、ほとんどの願いは、叶いませんでした。
でも、私は宗教を否定するつもりは、全くありません。
人生を美しく生きるには、心が美しくなるような教えは必要だと思います。
私は、その宗教からは、すっかり離れてしまいましたが、
最近流行っている、スピリチュアリズムの考え方などは、
とても“やわらかくて”好きです。
では、祈りは叶わないのかと言いますと、そんなことはないと思います。
少しだけ注意をすれば、大丈夫だと思います。
例えば、吃音の克服だけにスポットを当てると、
一心不乱に、吃音の克服を祈るような行為は、あまりおすすめできません。
ダメとは言いませんが、私の経験上、方向が真逆です。
思考停止ではなく、よく考える。
情熱的よりも、冷静に。
ひとことで言うと、柔軟に。
吃音の克服とは、こういうものの先にあります。
こういう祈り方が出来るような宗教なら、吃音の克服は可能なのかも知れないと思います。
ちなみに、私が今、一番気に入っているのは、
シルバーバーチの霊言です。