吃音が私を守ってくれていたなんて、
まったくおかしなことを書いていますけど、
私は、吃音が治った今となっては、時々、そう思うときがあります。
私の両親は、男のおしゃべりをとにかく嫌っていました。
小さいながらも、会社を経営している両親からすると、
よくしゃべる男は全然ダメなんだそうです。
幼い頃(小学校の低学年くらいの頃)から、よく怒られたものです。
これ、今となっては、私が吃音になった最大のキッカケだったような気がします^^
でも、大人になってみるとよく分かります。
おしゃべりの男性は、色々な点で不利です。
最もデメリットは、軽く見えてしまうこと。
吃音が、私の口数を適度に少なくしてくれました。
それでも、まだ、自分でもおしゃべりだったと、反省しているくらいですから、
私は、よほどおしゃべりだったんだと思います。
両親が、口うるさく私を叱るのも無理もなかったかもしれませんね^^
私にとって、吃音は必要だったのかもしれません^^
それでようやく普通になった^^
でも、こんなことが言えるのも、治ったからこそですね。
現在進行形なら、 ^^ ← こんな笑マークなんて使っていられません。
何度も書いていますが、
私は、吃音を持っている割には、よくしゃべる方でした。
そして、よくしゃべるくせに、
肝心な時には、どもってしまって、うまくしゃべれないものですから、
余計にタチが悪いのです^^
例えば、失言したとします。
本当は、訂正したいのだけれど、
「今すぐ訂正しなきゃ!」
そう思えば思うほど、
リキんでしまって、どうにもうまく言えそうにない。(予期不安)
そして、予期不安が出てくると、実際、100%言葉は出てこない。
「すみません。今のはこういう意味です。」
本当はこう言いたいのに、
「す、、、す、、、」 ここから先が出てこない。。
もういいや、あきらめよう。
こういうことがよくありました。
吃音の特徴ですね。
訂正しなければ、
と、気負えば気負うほど、
言葉が出てこなくなるというのは。
そういう意味では、吃音にはずいぶん泣かされました。
でも、それでも私は、今となっては吃音に守られたと思えるのです。
だって、過去なんて、もう記憶の中にしか存在しないんですから。
そして、何より、元来、私は、一言余計なことをいうタイプだったからです。
今でこそ、きれいな言葉、人を褒める言葉を意識して使うようになりましたが、
若い頃は、よく人とぶつかりましたし、決して、褒められた性格ではありませんでした。
今でも時々、妻と口げんかをしたりすると、こう思います。
「また、余計なこと言っちゃったな。」
「これじゃあ、どもってたほうがよっぽどマシだ。」
「何のために吃音が治ったんだ?」
吃音がなければもっとハッピーな人生だったかというと、
決してそんなことはない。
これが今となっては、私の正直な実感です。
汚い言葉をたくさん吐いて、
人を傷つけるくらいなら、
言葉が出てこないで、
自分が悔しい思いをしている方がずっといいです。
あらためて、
吃音は、私を守ってくれていたのだと思います。
本当に不思議ですよ。
吃音って、治ってしまうと、全然憎たらしくないのです。
私は、ブログを始めた関係上、毎日毎日、吃音と向き合っています。
ある意味、どもっていた時よりも、吃音と向き合っています。
というより、どもっている時は、目を背けたいですから、まず向き合いませんけどね^^
ですから、本当に、しょちゅうです。
ほぼ毎日、吃音に感謝しながら、生きています。