「吃音さんの役割もひとつ終わったと言えますね」と「スピリチュアリズム」

早坂式を紹介してくれたSさんとの直近のやり取りです。

あなたには私の胸の内が分かりますか?

この記事は、あえて文字の強調はせず、すべて黒文字となっています。

[colored_box color=”light‐green” corner=”r”]
2013.10.9.

Sです。

夕方ごろでしたか、ふと
これまで何気なく願っていた事は、全て叶えられているのでは?
こんな気持ちになりました。

本当に、自分の努力で得たものだろうか? ちょっと違うなぁ。
世の中には、私以上に頑張っている人は、一杯います。
みんな努力しています。
それでも、得られていない人は多いと思います。

そんなことを考えていたら、感謝せざるを得ない気持ちになりました。

幸いに、二人の子供も、横道にそれることなく、成人しました。
(下の娘は30過ぎてまだ独身ですが、自分の力で生きています、
ご近所に、二人のお子さんが引きこもりの年配のご夫婦がおられます)

今まで、何でもかんでも、当たり前と思って、感謝という言葉には、
実感が伴っていませんでした。
道徳的な意味でしか捉えられませんでした。

やはり吃音のハンディにばかり気をとられ、
何に対して、感謝せんとあかんねんという感じでした。

とてつもない大いなる力に、守られている気がします。

漠然とながら、生かされている気がします。

この歳になって、いろいろな気付きの中で、
最大のものは、言葉は自分が出すものでなく、
自然に出るものということです。
以前から理解はしていましたが、自分で出す感覚が当たり前になっていて、
素通りでした。

それと、漠然とながらの、生かされているという感覚。

もう20年位前に、気付いていたらなぁと思います。

今、気付いたことも意味があるのでしょう。

[/colored_box]
[colored_box color=”light‐gray” corner=”r”]
2013.10.9.

Sさん

感謝の大切さが分かってきましたか。
そうであるならば、

吃音さんの役割もひとつ終わったと言えますね。

フリーマインド

[/colored_box]
[colored_box color=”light‐green” corner=”r”]
2013.10.9.

Sです。

 

吃音さんの役割もひとつ終わったと言えますね。

 

これを分かるまでには至っていません。

これが分かる時は、治った時になるのでしょうか。

いつも言葉を出そうとしている気付きはあったものの、
自我というか、「わたし」が慣れるまでは、
しばらく時間がかかるみたいです。

以前のように、結果を気にして焦る気持ちも消えつつあります。

有難うございます。

[/colored_box]
[colored_box color=”light‐green” corner=”r”]
2013.10.18.

Sです。

吃音の役割ですが、あれ以来ずっと考えています。

昨日は、答えは未だ言わないでと言いましたが、
煮詰ってしまいました。

フリーマインドさんは、喋り過ぎると、男として軽く見られるから、
そうならないためのプレゼントと受け止められたと書かれています。

私も以前に、吃音の肯定的意味を考えた時期があり、

よく喋る人間は、軽薄な人間だ。軽蔑すべきだ。
喋らない人間の方が、周囲から尊敬され、頼りにされる。
それが価値のある人間だ。

こんなことを考えた時期がありました。

そう思いつつも、優秀で、みんなから信頼され、弁も立つ人も一杯いる。
思っている事を伝えられない人間は、やはり・・・・。
このような、人と比較してしまうことで、自分が小さく見えていました。

仮に、あなたの吃音の役割は○○ですよと、教えてもらっても、
自分が、納得できなければ、なんら価値はありません。

やはり、自分が納得できる役割を自分で探すしかないようですね。

急に涼しくなりました。

既設の変わり目、お身体ご自愛下さい。
[/colored_box]
[colored_box color=”light‐gray” corner=”r”]
2013.10.20.

Sさん

 

吃音の役割ですが、あれ以来ずっと考えています。

 

もちろん深い意味はありますが、
それほど掘り下げるものでもないと思いますよ。

が、

もしも吃音に対してまったく感謝の気持ちがわいてこないとすると、
ここで立ち止まってしまうのも理解出来ますね。

 

フリーマインドさんは、喋り過ぎると、男として軽く見られるから、
そうならないためのプレゼントと受け止められたと書かれています。

 

これはほんの一例です。
しかもあまり大した例ではありませんね。

 

仮に、あなたの吃音の役割は○○ですよと、教えてもらっても、
自分が、納得できなければ、なんら価値はありません。
やはり、自分が納得できる役割を自分で探すしかないようですね。

 

そう思います。

 

Sさんこそどうぞご自愛下さい。

フリーマインド

[/colored_box]

[colored_box color=”light‐green” corner=”r”]
2013.10.21.

Sです。

吃音の役割には、深い意味があると書かれていますが、
何となく私もそう思います。

ただ、それほど掘り下げるものでもないと思います。
とも書かれています。

どっちやねんと突っ込み入れたくもあります。(笑い)

スピリチュアルを学んでいく過程で、
人は死なない、自我などという言葉によく出会います。

死なないについては、輪廻転生や生き返りの村の話などで、
それ程の違和感はありません。

東大の緊急医の書かれた、人は死なないという本も、ちょっと前に読みました。
現役の医者が、匿名で無く本名で書かれていて、本として出版されたので、
体験した上での真実だと思います。
肉体や心は消えても、魂は死なないものだと思えます。

自我については、自我の目的は生き残ることだと説明される方もいます。
この意味もほぼ分かります。

悩みの元凶は、自我にあると思います。
自我は考えることが好きで、しかも悲観的なことが好きなようです。

生き残ることが目的なら、我々の味方ですよね。

自我が無ければ、悩むこともないけど、この世では生きられないわけですから、
生きてる以上は、自我はほとんどイコール自分なのでしょう。
これも矛盾ですね。
悩むこと=生きることですから。

もうちょっとスッキリしたいですね。
[/colored_box]
[colored_box color=”light‐gray” corner=”r”]
2013.10.21.

Sさん

吃音の役割について、どうも考えすぎですね。

 

私はすべての物事を、

・できるだけ簡単に、
・できるだけ前向きに、
・できるだけ柔らかく、
・できるだけ誠実に、
・できるだけ利他の思いで、

捉えるようにしているだけのことです。

だから、フリーマインドと名乗っています。

Sさんと私は、この点が決定的に違うと思いませんか?

 

また、スピリチュアリズムについても、私は、特にスペシャリストというわけではありません。
単に、人生を生きていくのにとても心を身軽にしてくれるエッセンスがスピリチュアリズムに豊富にあったので、私の人生において最も大きな決断を求められた時に、その知恵を拝借しただけです。

 

私は、スピリチュアリズムについて、これ以上深めるつもりはありませんし、
そもそもスピリチュアリズムの元祖とも言うべき、シルバーバーチ自身が、そういう思索をするよりも、例えば飢えている人がいれば、その人にパンを与えてあげることの方がよっぽど意味のある行為だと教えてくれています。

 

私が初めてシルバーバーチの言葉に出会ったのは、2011年11月23日のことでした。
私の人生は、その日から大きく動き出したような気がしています。いえ、動き出しました。
ただし、私の人生に最も大きな影響を与えてくれたのは私の娘ですけど。ただ、私が娘のことをこれ以上書くことはありません。

 

宗教は、時間とお金のある人の言葉遊びだと、シルバーバーチを知ってからの私は思うようになりました。
そういうことに時間を費やすくらいなら、誰かのために時間を使うべきだと思うようになりました。

ですから、私は吃音セラピーを始めましたし、今もこうしてSさんにメールを書いています。
コンビニに行けば、銀色以外の硬貨は出来るだけ募金をするようにしていますし、
街で障害者とすれ違えば、いつも心の中でエールを送っています。

 

全く吃音と無関係のことを書いているようにSさんは思うかもしれませんが、
こういう利他の考えと、行動の先にしか、
吃音の克服はもちろん、人生の充実も無いというのが、
私の現時点での人生に対するシンプルな結論です。

 

フリーマインド

[/colored_box]
[colored_box color=”light‐green” corner=”r”]
2013.10.22.

Sです。有難うございます。

昨日送って頂いたメールは、気魄を感じます。
いつもなら、短文で淡々と語るような感じを受けていましたが、
ちょっと別の人からのような感じがします。

吃音なんて大した問題じゃないじゃないか、そんな感じもします。

されど吃音です。

最近といっても、この4~5日ですが、
確かに、どもり方が変わってきました。

体を使って、言葉をひねり出すものではないという感覚が、
徐々に浸透してきたみたいです。

とはいっても難発は相変わらず出ます。

頭の中の吃音プログラムを変えていく遠大な作業をしているのですから、
時間かかるのは当たり前です。

何が何でも吃音を治そうとする気持ちは減っていますが、
少なくても、言葉は出すものという、間違った思い込みは、解いて
自然な感覚に戻りたいと思っています。
日に何回かは戻っている時があるから、
必ず戻れると信じています。

今回のメールを読んでいると、やはりまだ吃音に取りつかれている自分を
笑われているように感じました。
まだそこかと。

[/colored_box]

 

コメント